「積み木館」とは、おもちゃ会社の最大手(株)ノミー創立者であり、設立当時の社長であった故野見山健介が、1971年に建てた野見山家の別荘の俗称である。
東京下町のおもちゃ部品会社、(有)ノミヤマの長男として生まれた野見山健介は、その豊かな発想と持ち前の営業力により次々とヒット商品を発表。
小さな部品工場だった会社を十年足らずで業界最大手までにし、「昭和のおもちゃ王」と言われた。
また、健介のおもちゃコレクションは世界中のおもちゃコレクターが注目するほどで、「積み木館」はそれらのコレクションを展示する為に建てられたとも言われている。
健介の凄いところは、この館自体が「おもちゃ」のひとつであるところである。
実はこの館は、いくつかの部屋が積み木のように動く仕掛けになっている。
健介の奇抜な発想と、自らこの館の設計を手掛けた功績は、1975年、ドイツの建築学会に表彰され、健介の名前は「おもちゃ王」としてだけでなく、建築士としても世界に轟くことになった。
しかし健介は、館建築から15年後の1986年、この館に滞在中、妻の祥子と共に殺害され、その波乱万丈かつ豪快な人生に幕を降ろした。
事件の犯人は、事件直後に行方不明になった使用人の姉川俊典だとされた。
1986年の事件のあと、「積み木館」の主な所有権を受け継いだのは、社長であった故 野見山健介の長男・野見山晴男である。
健介夫妻殺害事件から15年が経った2001年、「積み木館」がテーマパーク「おもちゃワールド」に売却・移築が決まり、親族が健介夫妻の供養を兼ねて、最後に「積み木館」で過ごしていた晩、野見山晴男が、館の外で惨殺された。
この事件も、健介夫妻殺害事件以来、15年行方不明だった姉川らしき姿が目撃されていたことから、姉川が戻ってきて一族に復讐をしたのだと思われた。
しかし、晴男殺害事件は、別の苗字を騙って館に紛れ込んでいた姉川の息子と、彼に協力をした探偵たちによって解明された。
犯行は健介の弟であり、晴男の叔父にあたる善次によるものだった。
この事件解明により、姉川の遺体は1986年の事件直後に善次によって殺害されていたことが判明する。健介夫妻を殺害したのは姉川ではなかったのだ。
また、すでに死んでいる姉川に罪を着せたことから、1986年の健介夫妻殺人事件も善次であることが判明。
1986年、2001年の事件ともに、「積み木館」の構造を利用したトリックが用いられたことが明らかになった。
「積み木館」は、今年2010年、継ぐ者がいなくなった野見山家の個人資産とともに、遠縁の野見山健四郎に相続された。
健四郎は、放置され荒れ果てていた「積み木館」を修復し、これからも別荘として維持し続けると述べた。
(2010年11月 OITER共同)
このページはE-Pin企画が企画運営するミステリーナイトウィンター「積み木館の記憶2015」の為の架空の情報サイトです。