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浅草踊り子連続殺人事件(昭和二十六年)

odoriko昭和二十六年(一九五一年)十二月、浅草国際劇場(あさくさこくさいげきじょう)の踊り子合計四名が相次いで殺害される連続殺人事件があった。この事件にはいくつかの点で、犯人が精神異常者であることを示唆していた。夜道を歩く若い踊り子だけに的を絞って用意周到に行われた殺害事件であること、四件とも敢えて殺害方法を変えて行っていること、全ての遺体の掌に色鮮やかな折り紙を握らせ、折り紙を開くと、暗号らしきものが記されていたこと。犯人は警察を欺いて殺人ゲームを楽しんでいるかのように見えた。この事件捜査はずっと難航し、最終的には時効を迎えた後に、いくつかの事実が明らかにされることになる。昭和のシリアルキラー事件として人々の記憶に残る事件となった。
最初の犠牲者は、吉河百合さん(芸名:吉河リリー)、二十六歳。昭和二十六年(一九五一年)十二月十日、百合さんは浅草の路上で何者かに銃殺された。目撃者証言によると、目出し帽をかぶった男が物陰からふいに現れて百合さんの目の前に立ち塞がり、サイレンサー付のピストルを出して胸を撃ち抜いたという。犯人はすぐに夜の街に紛れ込んだ。百合さんと一緒に歩いていた友人を含め、数人の事件目撃者たちは、犯人の行動に追いつくことができず、その容姿を確認するまでには至らなかった。百合さんは昭和二十年代の浅草で最も愛された踊り子のひとりであった。昭和二十一年、浅草国際劇場でのレビュー公演で衝撃デビューを果たし、多くの男性ファンを集めていた。
翌日の十二月十一日の晩、同じくレビュー公演で百合さんと人気を二分していた踊り子、南田明海さん(芸名:南田ナンシー)、二十二歳が浅草の別のエリアで倒れているのを発見された。遺体の発見者は当夜浅草の繁華街を飲み歩いていた演劇青年で、彼が警察へ通報したのが深夜零時前であった。検死の結果、後頭部の棒状のモノによる強打による撲殺。死亡推定時刻も零時前後の二時間、その時間帯その周辺にいた人物は全て徹底捜査されたが、事件目撃者はひとりも見つからなかった。犯人は別の場所で明海さんを殺害後、遺体だけ移送された可能性も残っている。
次なる被害者は警察の厳重な警戒体制の中、一週間後に殺害される。野々村真理子(芸名:野々村マリリン)、二十歳。彼女は、背後から近づいた目だし帽の男にマフラーで絞め殺された。付近を歩いていた浅草の住人によって殺害現場は目撃されている。この場合も犯人を捕まえることはできなかった。マリリンの名前の由来は、ハリウッド情報通のプロデューサーがいち早くマリリンモンローのフィルムを入手して浅草六区で広めたことから始まった。真理子さんは政財界の男性との恋の噂も耐えない踊り子で、派手で陽気な立ち居振る舞いがどこかマリリンモンローを髣髴とさせた。そこで和製マリリンモンローと称されることもしばしばあった。
そして四人目の悲劇のヒロインはクリスマスイブの晩に殺害された。栗栖一美(芸名:クリスティーヌ)、二十一歳。フランス人の母と日本人の父を持つハーフの踊り子である。日本人離れした、透き通るような白い肌と碧い瞳で俄かにファン層を拡大していた矢先のことであった。彼女は女性スタッフとふたりで酔いながら歩いているときに、ふいにロープを持った目出し帽の男がクリスティーヌの背後に回り、彼女の首にロープを巻いて捻りあげたまま強引に走り出した。彼女は暫く路上を引きずられた後に事切れた。隣で歩いていた女性スタッフは恐怖のあまり腰を抜かしてしまったまま、クリスティーヌを助けることはできなかった。
殺人鬼は、浅草六区の至宝とも言うべき四人の踊り子を立て続けに殺害した。四つの遺体は綺麗な四色の折り紙を持ち、その中には暗号が残されていた。

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